白兎海岸の風景 鳥取県鳥取市 #1

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 白兎海岸は鳥取砂丘の、西の端点であった。今は鳥取市沿岸のほとんどの砂地が開発で埋め立てられたが、ふつう鳥取砂丘と呼ばれる福部の砂丘とのあいだはすべて砂であったという。末恒駅は小さな無人駅である。白兎海岸に向かうためにはここから2km程度歩くよりも鳥取駅から路線バスで行くほうが一般的なようだ。駅を出て北に行けば、山陰と京都を結ぶ国道9号線に突き当たる。9号線を白兎海岸に向けて西進すると、道路の向こうの空地の奥に、日本海の青色がちらりと見えて気力も揚々としてきた。

 そのまま歩を進めると、国道はすっかり海沿いに出る。前日に日本海を通り過ぎた低気圧の名残りで、強い北風が身に吹き付ける。白波の頭が海岸線とまっすぐ平行に寄せ、三角形の小島ひとつがそれに耐えるように浮かんでいた。晴れた空は高く、ベールのような薄雲が部分的にかかるだけであり、とても気持ちよかった。重いバックパックを背負っての一歩一歩もまったく軽快に感じる。さらに歩くと、遠くには白兎海岸の奥の岬が見えてきた。打ち寄せて砕けた波の微細なしぶきと、吹き上がった砂が交じって、煙霧のように海岸を覆っていた。

 白兎橋のバス停まで来ると、自然のしたたかさを感じる光景が観察された。歩道と海岸が木の板によって隔てられていたが、海岸の砂が木の板を乗り越えてこんもりと溢れ、歩道を浸食しようとしていた。すなわち、山から海に向かって砂が運ばれているのではなく、海から陸に砂が進んでいるのである。もちろん、風によって砂が吹き上げられてくるということもあるだろうが、それにしても砂の量が多い。砂に足を踏み入れると、深く沈み込み、歩くためには力が要った。あした鳥取砂丘を歩くときもこのような感覚だろう。鳥取砂丘と白兎海岸が繋がっていたことを知ったのは旅行を終えた後であったが、この海岸に来れば、人の営みに埋没した両者の関係をうっすらと推して知ることは不可能ではなかった。河川が運搬した中国山地由来の砂が、河口に流れ、岸に沿った海流で鳥取の周辺に再分配されてきたのである。その両端が福部の鳥取砂丘と末恒の白兎海岸だった。

 波が高く海が荒れていたからか、白兎海岸の砂浜を散策しようという人は他にはいなかった。段丘上の道の駅から続く歩道橋ではときおり、白兎神社に参拝したカップルが海を眺めていたが、そこからは荒み切って見えたことだろう。誰も海岸まで降りて来なかった。砂を見ると、海岸線から結構なところまでが水分を含んだ砂になっていて、今朝までの波はもっと高くまで達していたことがわかる。風の音と波打つ音とが支配する海岸を、展望台がある段丘のほうへと歩いていくうちに、人の足跡よりも鳥の足跡のほうが多くなった。神話の白兎がそこから岸への横断を試みてワニザメに嚙まれてしまった淤岐ノ島が見える。島の近くを目指して岸沿いに歩くにつれて、濡れた砂と乾いた砂の境界がより深くまで達している。高波の危険を感じて途中で引き返した。マスクを取ると、潮風のにおいが鼻腔をつんと突いた。振り返って波を横から見ると、無数の白波が浅瀬で丸くロールし、間もなく跳ねるように砕波する。外洋で砕ける高波は白馬に喩えられる。この海岸では、白兎の群れが岸に向かって競走して横一線でゴールを迎える。

(終)