旅の3日目に降り立った伊豆の国市・大仁駅の駅前には足湯があって、城山の赤く力強い岩塊が駅舎の向こうに頭を出している。城山はかつての伊豆を構成した海底火山の奥底にあったマグマが固まり、やがて表出したものだ。「火山の根」と呼ばれて、伊豆地方の地質を象徴する景観のひとつを生み出している。
狩野川が蛇行した川岸にある大仁駅の近くでは、街路は狭く見通しがあまりよくない。車に気を付けて川沿いまで歩いた。伊豆牛を売る精肉店の前を過ぎると狩野川に架かる大仁橋に出る。
鮮やかな赤のトラス橋の上から眺めると川幅は広く、流れは緩やかだ。この2日間は富士宮や駿東郡、三島などで綺麗な水を繰り返し見てきた。狩野川の流れはそれらにましておおらかに映り、深い青には水底までがはっきり透けている。対岸まで橋を渡れば城山がまた見える。川面を渡り来る春風は暖かい。しばし周りを眺めて、数年前の同じ時季家族に連れて行ってもらった和歌山・古座川へのドライブを思い出した。清流と奇岩のある風景が少し似ている。
橋を渡り戻った。大仁橋は三島から下田へと続く街道の途上にあって長い歴史を持つ橋であり、現在のもので5代目である。橋の北詰は小さな公園になっていて、そこには4代目の大仁橋のトラスがモニュメントとして一部分だけ残されている。
その前の3代目の大仁橋は1958年の狩野川台風(台風22号)で被災した。狩野川台風では伊豆半島を中心に著しい大雨となり、特に狩野川の流域では氾濫による被害が多数発生した。死者・行方不明者は全国で1200人以上に達したが、そのうち3分の2近くは旧大仁町や旧修善寺町を含む田方郡で発生している。流路が右を向いて急なカーブを描く旧大仁町の周辺では上流から水が殺到し、左岸の堤防をえぐり取るように押し流した。不通となった橋は角度を変えて付け替えられ、それが4代目の橋となった。このときに3代目の橋を再利用したので、公園に残されているトラス構造は3代目橋の建設(1915年)から100年以上にわたり狩野川の流れをみてきたものである。
赤い煉瓦でできた3代目橋の橋台が今も流れの中に残されているのが見える。それは平時の層流も災害時の濁流も全てを受け止め、橋を支えてきた基礎構造である。狩野川の風景はいま、春風駘蕩としてこの上なく穏やかだ。その豹変の歴史に思いを馳せれば、降り注ぐ春陽の温もりはあっけにとられるほどである。公園の一角にある狩野川台風の犠牲者を悼む供養碑に手を合わせ、いまのようなのどけさが長く続くように願った。