線路の右側に広がる田んぼはまだ水を入れたばかりで苗もなく、ただ水と光だけを溜めて、その反射光は飯田線普通電車の内側を照らし出す。まもなく新城駅の2番ホームに降り立てば、駅裏の桜の木からはぐれた花びらがホームの屋根をくぐってちらちらと舞い込んでくる。奥三河の玄関口ともいえる新城市は、東三河から信州伊那へと続く街道の要衝で、往時の賑わいは山湊馬浪という言葉に残る。新城の川湊に着いた船から荷物を乗せ換えた馬たちの背は夥しい数で列をなし、それは風浪のうねりが沖に向けて幾重にも重なるかのごとく目に映ったという。
新城駅の前の通りからすぐに街道に出る。その街道に突き当たるところの観光案内所でパンフレットなどを取らせてもらった。観光案内所のおじさんが私がどこから来たのか尋ねた。私が京都府から来たというと、おじさんは毎年秋になると京都に行っとるんだよと笑った。「向こう(京都)の紅葉はすごいねえ でもこっちのほう(奥三河)もいなかの紅葉の風情があってなかなかいいよ」とのことだった。いまは緑の斑模様が元気な三河の山野も、そのころには低い西日の淡い光線で褐色を溶かすのだろう。4月中旬、われわれは芽吹いた若葉が青葉を経てやがて紅葉する過程としての夏の始まりにいる。それと同じように私はいま山深い奥三河の入り口にある新城の地に立った。旅は今日が最終日だが、この地域をもっと奥に進みたくなってくる。春風に魔が差せば、午後には帰るふりをして反対向きの電車に乗り、そのままバスに乗り継いでどこかへ向かってしまいそうだ。
市役所の脇を抜けて桜淵公園に至る。かつて新城が城下町だったころの川湊だったあたりは、散り際の桜や野良の菜の花に彩られている。豊川は翠緑の水を潤沢に流し、その静かな表面に小さな花びらを漂わせる。道なりに歩くと、足元には徐々に岩石が露出し、渓谷の雰囲気が漸う強くなる。笠岩という川岸の巨岩をはじめとして、露出する岩は薄い緑色をしていた。この緑色の岩石は、地質でいえば三波川変成帯に属する緑色片岩であろう。桜淵のすぐそばには三波川変成帯と領家変成帯の境界である中央構造線が通り、少し北の長篠では露頭が多く存在する。笠岩の表面は、同じく中央構造線が通る和歌浦(和歌山市)の近くでかつて見た岩と非常によく似ていた。東西に延びる地質帯の繋がりを知識として有してはいても、いざ目前にその暗示となるような岩石が現れると少しばかり驚きがあった。散策路の脇にはまた野良の菜の花が黄色い。