山の湊 馬の浪 桜とみかん 愛知県新城市 #2

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 よく目立つ赤い吊り橋は笠岩橋で、付近は花見の客で賑わっている。笠岩橋の下、南詰の側には蜂の巣岩という白い石灰質の岩があり、豊川の浸食を受けて形成された波のような模様が見える。橋はそこそこの高さがある。この上から見渡せば、上流には山々が重畳し、川岸の岩石はますます厳めしい。下流は本宮山のピークに向かって渓谷が開く。本宮山のゆるやかに下る稜線は眠りについた虎の背中のようだ。やはり大きな山である。

 橋を渡り切ったところの広場で休憩した。そこにはこの地域の古い釜屋建民家が移築保存されている。同じ大きさの母屋と釜屋が仲良く並列しているが、その屋根の棟の向きが直交しているのが特徴という。花壇の前のベンチに座って、昨日豊川駅裏の直売所で買ったみかんを食べていた。すると2人のおばあちゃんが隣のベンチにやってきて挨拶した。ハイキングコースの途上だったようだ。

「今日は本宮山がよく見えとるね。(山頂の)鉄塔まで見えとるで。」
「空気が澄んどるんだわ。」

定期的に何度も来ている人たちのようで、だいたいこんな感じの会話をしていたと思う。文字に起こすとあまりにもありふれた会話だが、なぜだかその話しぶりは洗練されて聞こえた。身体を日々風景に対峙させて、その些細な変化に知覚を研ぎ澄ませる。その経験の蓄積があってこそ生まれる会話だと思った。通りかけの旅行者である私にとってネモフィラの花壇越しに見る本宮山は一回性の風景である。隣から聞こえてくるおばあちゃんたちの会話は、一度きりの風景を四季で連続する桜淵のうつろいに埋め込んで、そこに輝く一瞬として磨き上げてくれる。

「桜はだいぶ散っちゃってもうすぐ終わりだ。次はあそこのみかんの花が咲くら。」

 どちらかのおばあちゃんが言っていた。確かにこの広場の横に小さいみかん畑がある。思えば晩秋から春にかけて実るみかんも花が咲くのは5月ごろである。いま私が手にしている豊川市産のみかんも、1年近く前に受粉し、燃えるようであった昨夏を経てこそようやくこの情熱的な果実の色を呈したものだろう。

 改めて笠岩橋の上に立った。峡谷の先に奥三河のもっと奥を覗き込む気分がした。そして振り返れば本宮山がある。ここ新城は平野部から山間部へと東三河の色調が移り変わる場所だ。そのような場所で季節の変わり目に立ち会えば、時間と空間の大きな容れ物がこの旅全体を包み込んでいるような気がした。

(終)