ひとり旅を初めて間もないころの6年前、夏休みに三重県を旅したことがある。和歌山県の実家を出発して新宮から三重県に入り、紀勢本線で北上しつつ、いろいろな駅に降りながらの旅であった。縦に長い三重県の地質は南北でこまめに変わる。それと呼応するように車窓の風景が変わっていくのが楽しかった。熊野市の鬼ヶ城のトンネルを抜ければ尾鷲までリアス式海岸が続き、いくつもの漁師町をトンネルが繋ぐ。紀伊長島で海と別れた列車はディーゼル音をたてて荷坂峠を越える。このとき随分と峠を上ったところから遠く紀伊長島の海が見えるのを発見し、車窓に無関心であっては必ず見逃すような小さな海に感動を得た。それまでが海辺なら奥伊勢は山の国である。紀伊山地の険しい山並みが波濤のように車窓に押し寄せる。高地には茶畑が広がり、42号線が並行する。緩やかに下りゆけば、伊勢平野は一面に稲穂を敷いて、やがて松阪や津の大きな街に至る。
その旅の3日目、松阪から引き返して和歌山に戻る道中で奥伊勢・大台町の三瀬谷駅に降りた。晴れて厳しい残暑となった2日目までから一転して朝から断続的に雷雨が続いていた。松阪から乗った電車は島式の2・3番線ホームに着くので、激しい雨の中で傘を差して跨線橋を渡るしかなかった。雨が弱まるのを待って駅の外に出ても、立ちこめる暗雲のはらわたから雷鳴が轟き、逃げるように近くの道の駅に入った。そしてそのまま無理をせず道の駅の近くにいた。ところでこのとき、電車を一緒に降りた人の中にひとりのハイカーがいた。彼はトレッキングポールをついてそのまま駅前から真っ直ぐ歩いて消えていった。まったくもって安全な山行が保証される天候ではないが、なんという度胸だろうとこのときは素直に思った。
三瀬谷でできたことはお土産を買うこと、鹿肉のハンバーガーを食べること、大内山牛乳のソフトクリームを食べることと雨が上がってからの少しの散歩だけであった。しかしこのときの滞在はなんとなく心に残った。松阪から来ても紀伊長島から来ても山深く標高が高い。そのような場所に宮川が河岸段丘を作り街が開けている。その宮川は渓谷を穿ち、今では段丘面の遥か下方を流れる。それが余計に標高を高く感じさせる。三瀬谷駅から見える山の端にかかった低い雲は水墨画を見ているようであった。ちょっと歩いただけで、山に囲まれていても空が近いことがわかった。独特の地形が作る風景は、特別の感慨を残した。
果たして2024年5月、再び大台町を訪れることが叶った。天気もよかった。