再訪 奥伊勢の森に浮かぶ台のまち 三重県大台町 #2

かぼちゃの曲率トップ>旅行記>このページ

前のページ

 三瀬谷駅から出て42号線沿いに向かうのではなく、6年前に歩けなかった方向の細い道に向かった。森を背にして三瀬谷神社がある。三瀬谷村だったころの村社なのだろうが、参道は長く立派できれいな神社である。参道を歩いて社殿に近づいた。このとき俄かに、その社殿を囲む社叢の界域に引き込まれる感覚がした。それほどにこの社叢をなす木々が立派であることに気付いた。極太の杉が数えるだけで5本か6本、空を衝いて直立している。伊勢神宮の遥拝所というのもある。

 神社を出ようとしたとき、車が入ってきた。ちょうど、この神社の総代さんが管理をするためにやってきたのであった。総代さんからお話を聞くことができた。三瀬谷駅の周りのこの地区を佐原という。神代に倭姫命が天照大神を祀る地を求めて宮川を遡ってきたとき、倭姫命は三瀬の渡し場の近くに立ち寄り、宮川を渡る助けをした真奈胡神を祀って宮を建てた。それが大紀町三瀬川の多岐原神社であり、これを江戸時代初期に佐原の人が分祀したのが三瀬谷神社の始まりだという。明治期には、町村制施行で三瀬谷村に含まれたいくつかの村の神社が合祀された。そのため、鳥居や灯篭、さらに本殿までも各地区から持ち寄ったものが使用されているのだという。その由来を聞けば、樹齢200年から300年はあるという杉の木々たちも、各々の木霊をもって各々の地区を護っているように見えなくもない。

 総代さんは西国三十三か所の観音巡礼をすべて回ったことがあるらしく、各霊場の御詠歌を歌えるのだという。地域でお葬式があるときも、御詠歌の音頭を取る役を務めることがあるらしい。気さくな感じの話しぶりには、優しい歌声で御詠歌を唱える情景が浮かぶようだった。私は西国巡礼を全部回った人に初めて会ったが、その巡礼が個人的なものに終始せず地域の宗教行事にも還元されていることに感じ入った。
「三十三か所巡りをやるなら若いうちのほうがいいよ。お寺の石段が辛くなってくるからね……」

 大台町という町の名前は、もちろん奈良県との境にある大台ケ原から来ていると思われる。しかし、三瀬谷や栃原の地域も大台という名が与える印象に近い。奥伊勢の深い森のなか、大きな台が浮かぶように河岸段丘面が開けて街がある。どこを向いても険しげな山がすぐ近くに迫る三瀬谷には初夏の色がよく似合っていた。茂りゆく山には椎類の白い花が目立ち、甘苦を混ぜた青い匂いを暖かな風が運んでくる。

次のページ