みかんと風景 和歌山県有田市 #1

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 秋の有田を歩いてみたかった。みかんの艶がかった葉は少し黒く、はつらつとした果実の色は谷の斜面に無数の行燈を灯すようだ。かつて晩秋のある日、有田川の右岸を電車で通り過ぎたときにそう思った。星間を往く宇宙船があまたの星を見送るのと同じく、乗客はこの夥しい数の赤い光を車窓の後方へと見遣った。

 私が育ったのは和歌山県ではあるが、有田や湯浅、加茂郷のように柑橘が多く採れるような場所ではない。それでも私にとってみかんは普通の食べ物ではなく、つねに「風景」の一部だった。級友のおじいちゃんは南方特有のポンカンを栽培していたし、学校の近くの小さな土地にもたった数十株ではあるが畑があった。冬になれば家には取り寄せたみかん箱が必ずあった。みかんの風景はいつの間にか魂に近い階層に刻み込まれてきた。

 だからこの有田の旅はいつかやろうと決めていた旅であった。日本屈指の大産地をゆっくり歩きながら、その姿を知りたかった。

 有田川町を訪れた翌日、初島町の燃料工場近くの宿を出て歩き始めた。現在の初島は沿岸部に燃料工場と発電所を有する工業地帯であり、住宅地や道路はそれらの工場と防風林で隔てられている。だが、そのような地区でも民家の庭のような小さな畑にはみかんが実っていた。線路沿いの道を歩いて箕島に向かった。

 有田川河口北岸の港町の入り口には、公民館のような現代的な大師堂がある。ここまでの道には製材所もあった。高野山を源として流れる有田川は、精神と物質両面の道となり、この港に結節する。思いがけず見つけた2つの建物がそのことを象徴しているように思えた。そして、昨日の有田川町の旅に引き続き、道端の碑が気になる旅である。

 大師堂の近くには、北口弥吉なる人物の顕彰碑が建っている。しかし、この人物が成し遂げたことは後から調べても不明だった。市史などを参照すればわかるのかもしれないが、そこまではできていない。インターネットでだいたいのことがわかる時代に、このような目立つ石碑が謎を纏ったまま存在することに驚きがある。

 大師堂と石碑がある分かれ道から、河口部に向かい歩いた。この先に、かつて江戸や大阪へとみかん船を出していた北湊の積み出し場があるという。川沿いを行けばわかりやすいが、漁師町では敢えて町中を歩いてみたくなる。

 行き止まり、突き当たり、鍵辻のような曲がり角が繰り返される。細い路地を進んでいるかと思えば急に大きな寺が現れるなどする。昔ながらの商店には箱売りのみかんが並んでいた。道に迷って、結局途中で川沿いに出た。人工の細長い中洲が見えている。有田川はこの中洲によって本流と内川に分かれ、この中洲が貨物の集積場であった。この先端に近いところに紀伊国屋文左衛門伝説の碑があったらしい。しかし時間を考えてそこまでは行けなかった。

 紀文出港の地まで歩くことはできなかったが、有田市郷土資料館に併設されたみかん資料館では、この積出し場のジオラマを見ることができた。先ほどの中洲には、みかんが大量に入った籠が何重にも積み上がって、内川に留めた船に移されるのを待っている。内川を挟んだ港町には問屋や蜜柑方の集会所が並び、賑わっていたことが伺える。

 みかん資料館はそのほかの展示も面白かった。江戸期にはすでに紀州みかんの大産地であった有田の風景は、紀伊国の名所図会にも描かれている。ここにはその写しが大きく展示されていた。いま箕島の山の斜面はほとんどが石積みのみかん畑であるが、そのような風景はすでに江戸時代には確立されていたようだ。名所図会には、果実を一杯に入れた藁編みの籠をふたつ、天秤棒で肩に担ぐ農家の姿が描かれている。この籠を「てぼ」と呼び、昭和以降プラスチック製のコンテナが普及するまで運搬に使われていた。別のスペースにはその実物が他の農具とともに展示されている。一目にはありふれた農具のようだが、有田のみかん栽培史を象徴するアイテムであることに間違いない。

 栽培だけではなく、都市部への流通も時代とともに変わってきた。よく「みかん箱」と呼ばれるのは段ボールだが、昭和の中頃までは木箱にみかんを詰めて出荷していた。そこでは、木箱の巻紙に版画で産地の印を刷ることが、有田みかんのブランドを示す手段だった。資料として展示された刷板には、新堂など今もよく知られた産地集落の名のロゴが彫られている。このような集落単位での産地のブランド化が、早くも大正期にその萌芽を見せていたことを知ることができる。江戸期の「蜜柑方」のような共同販売組織が早くから確立されていたことは、有田のみかん販売の特徴だ。この展示は、共販組織が辿った現代への道筋を感じさせる。

 郷土資料館では、市内の浄妙寺で出土した中世の仏像のうち、破損した状態で発見されたものを多数展示する特別展も行われていた。顔が割れて横半分だけが残った如来像や地蔵菩薩像の姿はかなしくもあるが、かえって我々が持つ原始的な信仰心に迫るものをもつ。そして同時に、同じような破損仏が莫大な数、知られぬまま全国に存在しているのであろうという気持ちになる。みかん栽培とは関係がないが、この特別展を企画した学芸員の目のつけどころは見事だと思った。

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