集落まんなかの小高い丘の八幡神社で、旅の安全を祈願した。境内に隣り合う小学校の体育館からはJ-POPが漏れている。秋もずいぶん深まったが、いま運動会の練習をしているようだ。上空にかなりの暖気が入り、新調した手袋を付けていては手のひらが汗ばむほどの気温になった。
紀州箕島の港に注ぐ有田川は、遡れば遡るごとに激しく蛇行する。その中上流は深い山地の中にあって、点在する河岸段丘を見つけてはそこに集落が開けている。藤並駅からバスで1時間あまり、ここは有田川町の旧清水町だ。有田川を遡上する道はやがて水源の高野山に至る。現在は紀ノ川沿いの橋本から高野山にのぼるのが普通であるが、この有田道も歴史ある参詣道だ。宿場でもあった清水は、とくに大きなまちである。
湾曲する流路に抱かれるようなこの寺原の集落もまた河岸段丘に開けている。最上位の狭い段丘面に、八幡神社と小学校、そして紅葉山清水寺がひしめき合うように並び建つ。段丘崖に神社参道の石段と寺の墓地が隣り合い、鳥居をくぐっての墓参りはご遠慮くださいとの立札がある。なんとなく、神仏未分離の時代の残り香が感じられる風景だ。紅葉山清水寺もまた高野山とのかかわりが深く、金剛峯寺が吉野と争いになったときには高野から一斉下山した僧たちがここに籠った記録もある。
地図を一目見てもわかる通り、有田川中流部は平地が少ない。限られた土地に棚田を作りながら、畔を利用した商品作物の栽培など多角的な農業や林業が営まれてきた。特に、あらぎ島の棚田を展望する風景は和歌山県の山間部を代表する農業景観として有名だ。清水地区は上流の花園・高野とともに、寺院社会と調和した持続可能性の高い農林業のあり方が評価され、日本農業遺産に認定されている。また、あらぎ島の周辺の農山村景観は国の重要文化的景観にも指定されている。
国道480号線の橋の上からは、対岸にある西原の棚田がきれいに見えた。振り返り見える三田方面の集落は、さらに急な斜面に棚田や住戸を作っている。高野街道の坂道をあらぎ島の方向へと歩き始めた。