丹波の盆地に掛けた綿布団のような朝霧を太陽が剥ぎ取って、秋の一日が始まる。由良川の河川敷のコスモス畑は露を被り、南西にある四つこぶの四尾山は未だその胴体を雲の中に隠していた。綾部は京都府北部、東西に延びた福知山盆地の東端にある街だ。
綾部市を自転車で走るのはこれが初めてではない。2020年の初めにも、ふらっと遊びに来て、観光協会でレンタサイクルを利用したことがあった。そのときは、駅から北東に5km弱離れた安国寺を目指して走った。安国寺は足利尊氏の出生地との説もある中丹の古刹である。地図では平坦に見える道も走ってみれば丘陵地であった。当時はまだ自転車は趣味でもなんでもなく、重い自転車でこの地形のうねりをいなすことは難しかった。貸し出しのさい観光協会の人にはそんなに遠くないですよと言われた気もしたが、進めば進むほど復路も長くなるのが辛くなって結局途中で引き返した。帰りに立ち寄ったグンゼスクエアの桜がきれいだった、世界が閉じる少し前のことである。
自分の自転車であれば丘陵を越えて行ける。さわやかな農場と整然とした工業団地を越えて、2020年とは違う道を通りつつ安国寺に辿り着いた。その頃には周囲の山々も完全に晴れ上がった。山門を囲む木々はまだ紅葉に達していないが、それでも秋らしい黄褐色を差している。足利尊氏の産湯と伝わる井戸や、尊氏およびその母・妻を供養する宝篋印塔などがある。しかし最も印象に残ったのは非常に大きな茅葺屋根の仏堂であった。丹波の農村を歩いていれば、ときおり屋根に急な角度を付けた入母屋造の古民家を見かける。現在は板葺や瓦葺に改造しているものが多いが、それはもともと茅葺であった。安国寺は上杉家や足利家の庇護を受けた強力な寺院であったが、その仏堂の形は民俗との連続性も感じさせる。
復路は2020年と同じような道を通った。工業団地を抜けて多田の集落に入ると右手には古墳が現れる。この古墳は4年前に見たのをはっきり覚えている。かつて通ったひとつひとつの分かれ道や交差点が懐かしい。
由良川のほとりに戻ってきた。あやべグンゼスクエアでは桜の代わりに、バラ園が見ごろであった。綾部や福知山は知られざる茶の名産地であり、特に宇治抹茶の原料にもなる碾茶は良質なものが育つという。グンゼスクエアのなかには日本茶カフェがあり、そこで地元の抹茶を飲むことができた。動かし続けた脚の熱を緩めるような、清涼な香りと苦味がした。ここからは福知山に向かいつつも、途中で寄り道して茶畑を見ていった。
由良川南岸の堤を走りつつ、途中で府道9号線の橋を渡り、また丘陵地へと自転車を進めた。府の農業大学校へと続く坂道を上り切れば、台地の上に平坦な圃場が開けて、その一角を茶畑が占めている。空が広く、遠くの山並みも見渡せる茶畑だ。すぐ下の高速道路はひっきりなしに車が通り過ぎるが、日曜日の畑を割る道には人も車もほとんど通らない。グンゼスクエアで味わった抹茶のふるさとは、防霜ファンの遅い回転と同じような緩やかな時間に抱かれていた。