由良川に沿って走れ 京都府綾部市・福知山市 #2

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 綾部と福知山を真一文字に繋ぐような由良川の北側を進んだ。市境を越えたとき、私の好きな福知山の街に自転車で向かっているという高揚を感じた。この道を載せる平地は街の入り口で少しくびれて、山と河川敷の藪のあいだに挟まれる。山肌から這い出でて水場を目指す蛇を、危うく轢きそうになった。

 視界が再び開けると音無瀬橋の白いアーチが現れる。かつて夏の終わりごろに電車で福知山に来たとき、駅に着くと街は突発的な雷雨に晒されていた。雨宿りしたのち、向こうの岸から三段池公園に向かって歩き出した。この音無瀬橋を渡り終えたところで背後を見れば、驟雨を降らせた積乱雲が西の空で命尽きるところであった。頂上のかなとこ雲は魂を失ったようにその縁から崩れて我々を覆った。音無瀬橋の両端からの眺めはいつも絵画的である。福知山城の復元天守も大江連峰もぐるりと見渡せる。きょうは快晴であるが、数日前の雨のためか由良川が濁っていた。

 堤防から福知山の街に降りて少し走った。広小路通りのポッポランド2号館の前を通った。ここには蒸気機関車が静態保存されている。SLの時代、機関区が置かれていた福知山は鉄道のまちであった。いまも福知山には北近畿各地への路線が集結する。かつて鉄道でいろいろな場所に行っていたころ、よく途中下車をした。やがて、ここを目的地として来るようになった。

 広小路通りは明智光秀を祀る御霊神社にぶつかる形で、左右に分かれて迂回している。以前この御霊神社の境内を歩いたとき、特徴的な神社が合祀されていることに気付いた。それは堤防神社といい、名前の通り堤防の神を祀る神社である。1984年に建立された。綾部からほとんど直線的に流れてきた由良川は、福知山城付近で支流に会合し、日本海に向けて大きく方向を変える。堤防を祀るのは、この地勢のために水害が繰り返される福知山の市民の切実な信仰である。

 そして私は、そのうち治水記念館に行こうと思っていたことを思い出した。再び音無瀬橋のたもとへと自転車を走らせた。由良川の堤防裏の柳町通りは細い道だが、迂回路になっていて車が多かった。福知山市治水記念館は通りの中ほどにある一軒の町家であった。

 中に入ると、他にも数組の来訪客がいて賑わっていた。きょうはちょうど、近隣の有志が描いた水墨画の展示会をやっているのだという。案内の女性から説明を受けていると、町家の急な階段を身体をよじるように他の客達が降りてきた。1階からは人力の滑車が屋根裏へと通じている。明治期に建てられたこの記念館が呉服屋だったころ、水害の際には家財や商品をこの滑車で屋根裏に上げていたという。

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