2階に移動し、ビデオを見せてもらった。それは1953年台風13号による大洪水の際の、この建物における受難を再現したものだった。当時住んでいた人への聞き取りをもとに作られたという。この町家の断面を舞台とした劇であった。雨が降り出した段階では、まだ家族の会話には余裕も感じられる。大雨が予想されるため、越水に備えて荷物を屋根裏に避難させる。だが、夜になって浸水が始まり、市の西部で堤防が決壊という知らせが入る。家族も屋根裏へと避難するが水位は着実に迫る。ついに屋根に逃れた家族には、雨が止むのをただ祈りながら身を寄せ合う以外の術はなかった。
室内の展示には、近年に発生した由良川流域での水害に関するパネルもある。2018年の西日本豪雨や2013年台風18号に伴う洪水は記憶に新しい。舞鶴市で撮影された、ある空撮写真が私の原初期の記憶を呼び覚ました。それは2004年、台風23号の大雨で溢れた由良川の水にバスが沈み、辛うじて残った天井に乗客が取り残されている写真である。当時私はまだ小学校の低学年だったが、この様子をテレビのニュースで見たことを確実に覚えている。
展示の解説をしてくれていた受付の方は、私がこの事件を覚えていることに少し驚いていたようだったが、私自身もこれほどはっきりと思い出されることに驚いた。それが北近畿であったのは微かに覚えていたが、溢れたのは由良川であったのか。水害が起こる度に由良川の治水対策は強化され、築堤や輪中化などが現在も続いているという。
「こうして水害や治水に興味関心を持ってもらうことを目的としてこの治水記念館を公開しております。我々としてはぜひ福知山に住む人々に治水のことを知らせたいのですが、地元の人たちに足を運んでもらうのはかえって難しいことです。そのような目的もあり、水墨画展のようなイベントも積極的にやっているんです。」
1階に降りると、もうひとりの受付の人が水墨画展を見に来た客の案内を終えたところだった。彼女は講演会の運営の機会に、水没したバスの屋上にいたうちの1人と会ったことがあるといい、そのとき聞いたことを語ってくれた。俺はもういいと言い出した高齢の男性を皆で励まし、裂いたカーテンを結いで作ったロープでバスの天井に脱出したという話が印象的だった。
私は何度も福知山を訪れて、この街が光秀入城の時代から暴れる水をなだめるために苦慮してきた歴史を知ったつもりでいた。しかし、この治水記念館で話した2人は、間違いなくそれを伝え続ける人達だった。防災とはおそらくとても地味なものである。それでも客を呼び、地道に伝え続ける。誠実かつ愚直に、市民や観光客との接触面において防災の語り手となる。彼女らのような人々とこの街で会えたことが、私はとても嬉しかった。
治水記念館を出ると、太陽はすでに隠れて、山の端から漏れた光が街に染み出していた。駅に向かって急ぐ必要があったが、敢えて自転車を押し歩いて新町商店街のアーケードを通った。ここに一軒、また行きたい店がある。この日は定休日だった。私はやがて京都府を離れることになるが、あともう何回かは福知山に来られるといいなと思う。