煎茶萌芽の郷 風の絶えぬ茶園 京都府宇治田原町 #1

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 新年度のストレスで心が荒れたので短い旅に出た。

 維中前バス停から歩き出せば、谷あいの宇治田原の町は華やいでいた。誰もが陽気に誘われ、他の街では散りかけだった桜の木々も今が最も旺盛である。田原川沿いの遊歩道には多くの町民が歩いていた。ビニールハウスからは生え揃った稲の苗が覗き、育苗箱それ自体が一枚の田んぼのミニチュアのようだった。

 鷲峰山のふもとにある湯屋谷を目指して歩き出した。私がこの地名を知ったのはかつて大学図書館で借りた「日本茶の世界」(高宇政光著・講談社学術文庫)という本がきっかけだった。この本の第3章には湯屋谷の永谷宗円が中心となった煎茶の発明の歴史が書かれている。宗円が活躍した18世紀前半まで、庶民のお茶は煎った茶葉を簡易に煮出したものであり、現代の煎茶のような鮮やかな緑色も風味もなかった。高値で取引される抹茶用の茶葉(碾茶)の生産については宇治郷の独占が公的に認められており、その奥にある宇治田原郷の農家は困窮していた。湯屋谷の宗円は蒸した茶葉を揉捻しつつ乾燥させる手法を発明し、水色すいしょくの青く香りも良い煎茶を開発した。その煎茶は江戸の庶民に広がっていく。

 1時間ほどの徒歩である。信楽へと抜ける国道は土曜日でもトラックやダンプカーが次々と通る。その歩道を歩いてゆく。茶業のイメージが強い宇治田原であるが、川沿いの平地はその多くが田畑に利用されている。田んぼには水が入り、代搔きが終わっているところもあった。しかしそのような田んぼの脇にも樹が数本だけの、おそらく自家用の小さな茶畑がある。向こうにはニュータウンの人工的な台地があるが、その南向き斜面が茶畑になっている。土地利用に遍く茶畑が浸透しており、茶栽培の歴史の古さを感じさせる。

 湯屋谷へと分岐する手前、国道と山林の狭間に荒れた茶畑があった。長らく剪定されることなく伸びた茶樹の傍らにある、同じくひょろりと伸びた棕櫚の木の姿が気になった。

 国道を離れて湯屋谷に入ると、テレビの消音ボタンを押したかのように、地響きみたいだった大型車の走行音が止んだ。世界はロードノイズを忘れ、山肌からはカエルの鳴き声が聞こえてきた。

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