煎茶萌芽の郷 風の絶えぬ茶園 京都府宇治田原町 #2

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 交流センターのところから分岐する細い谷のひとつを、永谷宗円の生家に向かって歩く。美しく積まれた石垣の上に住居や製茶工場がある。坂道の脇には、珍しいミツマタの花が咲いていた。そして谷の急斜面にまた棕櫚が生えているのを見つけた。

 永谷宗円生家の復元家屋は谷の最奥で、新緑を透かした萌黄色の光に包まれていた。茅葺の古民家であった。私が中に入ると、庭の椅子で談笑していた2人の女性が戻ってきて案内を始めてくれた。3人が囲炉裏を囲み、永谷宗円の生涯を紹介するビデオが放映される。それを解説しながら、お茶を淹れてくれる。

 私はビデオの内容よりも、茶産地の人がどのように煎茶を抽出しているのかに興味があった。彼女らは熱湯を磁器の湯冷ましで時間をかけて冷まし、大きな急須に注ぐ。またしても数分が経過したあと、急須を覗きながら茶葉が開いているかを確認する。二度目の確認でようやく茶葉が開き、湯呑みに注ぐ。

 このお茶はとてもおいしかった。お湯を長く冷ましたためにぬるいが、甘みと旨味の極めて強いお茶だった。かぶせ茶かと思ったが通常の煎茶なのだという。近年では京都府でも甜茶の生産が拡大しているが、煎茶発祥の地湯屋谷ではやはり煎茶の生産が主流であるという。2煎目は熱湯を入れてすぐに急須の蓋を閉め、即時に茶を湯呑に注ぐ。
「こちらのほうが好きという方もおられます。」

 ビデオは宗円が自身の煎茶を携えて江戸に向かう途中、富士登山を行って煎茶の普及を祈念したエピソードを紹介していた。そして彼が98歳まで生きたことを述べる。私は前述の書で宗円の偉業を知り、湯屋谷に来てみたかったということを話した。
「若い人が宇治田原に来るってなるとだいたいは奥山田の正寿院に行かはるみたいで、こちらに来る人はなかなか渋いです。」
奥山田の正寿院は猪目型の窓がハートに見えることで人気になっている寺院である。私はむしろ宇治田原といえば茶業と思っていたので、湯屋谷を「渋い」と認定されるのは意外なことだった。
「でも若い人がお茶を好きになってくれるのはうれしいです。」
「こうやってお茶が好きで宇治田原来てくれるんはうれしいやんなぁ。」

 ここから山間部に入って少し歩けば、宇治田原における茶栽培発祥の地である大福谷に行けるという。湯屋谷の地図を見せながら、ぜひ大福谷にも行ってみてくださいと勧めてくれた。
「私らにはちょっと坂がしんどいですけど、若い人やからいけると思いますんで……。」
「大福谷には防霜ファンがないんです。茶畑によくプロペラみたいなのが回ってますよね。あれは霜が付かんように茶畑に風を送ってるんです。でも大福谷はちょうどええとこにあって、いっつも風があるからファンが要らんのです。」

 ところで、現地の人にぜひ湯屋谷近辺に生えている棕櫚のことを聞いてみたかったのだった。昨年に和歌山県有田川町を旅して、棕櫚がかつて紀州の農村に欠かせない植物であったことを知った。茶郷の棕櫚もまた、農具の材料になったり、副業としてたわしや箒に加工されたりしていたのであろうか。より年長の女性は私の意表を突くような質問に少し戸惑ったようだったが、答えてくれた。
「確かに棕櫚の木あるなあ。私もはじめこの湯屋谷にお嫁に来た時、なんでこんな木が生えてるのか気になってたんやけど、山崩れを防ぐために植えてはるんかなあって思ってました。」
「ん~でもどやろ、たわし作った話とか聞いたことないなあ……。」
山崩れの防止とは新しい視点に聞こえた。いずれにせよ、もっと昔のことを知る人にも聞かなければわからなさそうだ。

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