白山に近づく旅 岐阜県郡上市 #1

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 冷房が壊れたディーゼル車のなかで私は冷や汗だけをかいていた。関市の円空記念館から駅へと歩き戻ったのち、冷たい水を急に飲んだために急激な腹痛に襲われている。真夏日を予期しての薄着も仇となった。冷房代わりに開けられた窓から吹き込む風はむしろ悪寒と苦悶を引き起こす。列車は美濃市域を通過し、夕暮れの長良川上流部へと進んでゆくが、美しいはずの谷あいの景色もまるで目に入らなかった。宿のある郡上八幡までは到底耐えられない。そのとき、停車駅のホームと一緒に車窓に滑り込んできたのは、コンビニの青い光だった。

 急遽降りた駅は郡上市美並町の無人駅であった。コンビニでトイレを借りて事なきを得たが、まだ腹の気持ち悪さが残っていた。幸いにして、1時間待てば郡上八幡まで行ける列車がある。私は宿に到着が1時間遅れることを連絡した。

 地表の貯熱が日没とともに和らぐのと同じように、旅先での体調不良で切迫した気持ちもほぐれ、景色を楽しむ余裕を少し取り戻してきた。駅の前には田植え後間もない田んぼが広がり、陰りゆく里山と夕まぐれの色を映し出していた。私は駅の向かいに回り込んでこれをじっくりと眺めた。腹を壊さなければこの風景に出会うこともなかったと思うと奇妙さを感じた。

 気付けば、小さな駅の待合所に他の客がひとり座っているようだ。私もさすがに手持ち無沙汰になり、駅へと戻った。しかし、あと20分も見知らぬ客と無言で列車を待つのは少し気まずい。たぶん相手も同じ気まずさを感じたのだろう、私に話しかけてきた。

「暑いなー、一人旅?」
小太りで美濃弁というよりは標準語に寄った話し方をするその男性の名前は聞いていない。彼の話しぶりに何となくインターネットカルチャーを感じたことを思い出し、ここではニキと呼ぼう。

 私はこの日の旅程を話し、この駅にいる経緯を説明した。
「円空なんてめちゃくちゃ渋いじゃん。なかなか若い人円空(記念館)なんて行かないよ!」
「もともとは全然理系なんですけど、大学の一般教養で民俗学の講義を取ったらこういう方面にも興味が出てきてしまったんですよね」
「あー、オレのときもいたいたそういうヤツ」

 ニキもまた、この駅を利用したのは偶々だったという。近くの運動施設で泳いだあと、物足りなかったので数駅を歩いてきたと言った。日常的にかなり運動をするらしく、言われてみればその小太りな体形は怠惰ではなく鍛錬によるものに映る。

 彼はまた、周囲の名所に詳しかった。明日は北上することを言うと、郡上大和の温泉を勧められた。その場の人の勧めに従って旅をすれば良い旅になることを、私は経験として知っている。しかし、明日行く予定の白山文化博物館や長滝白山神社はこの旅行の目的地とも言える場所であり、その行程を削ることは難しい。2泊3日にできれば良かったのにと思った。

 そのようなことを思えるほどには、ニキと話していて気持ちに余裕を取り戻していた。線路越しに広がる水田は夕闇に溶け出し始めている。

「きょうもきっと大谷くん打つよー」
そんな会話があった。まもなく関方面への列車が音を立ててやってくる。

「オレこっちだから行くわ。これあげる。」
「あ、郡上八幡方面じゃないんですね」
「達者でな。じゃあの。」

 1人になったホームで北濃行きの列車を待った。この日はあまり人と喋ることもなく旅が終わりそうだった。それだけにこうした時間が生まれたことを不思議に思った。最後に貰った飴玉をポケットに入れ、列車に乗った。

 郡上八幡に着くともう真っ暗だったが、そのぶん轟々とした用水の音が街に聞こえ、また外に出ている住民たちも多く、この街は賑やかだった。体調は持ち直したものの、数週間前から続く左膝の痛みがまたぶり返してきた。川音の聞こえる宿の和室で寝付けない夜を過ごした。

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