1両のディーゼル車に乗って加茂駅を発つと、和束に続く道の果てに遠く三つこぶの鷲峰山が見えた。列車は並行する国道163号の車といっしょに木津川の峡谷へと吸い込まれる。東西に走る深い谷、集落の後ろに続くのは険しい山並みであった。注視すると、山並みのとても高い場所に茶畑がある。この山城の国は、もう少し東まで続いている。
1つ目の駅である笠置駅に着くと、島式のホームには夏木立の色と香りが濃く在った。駅から見える木津川の浜は広く、キャンプ場があり、いつもにぎやかな印象を受ける。南は奈良の柳生へと続く道で、かつての商店の看板など街道の面影をたっぷり残している。
笠置山が標高300mにも満たない小さな山であることは知っていたが、本物の前に来ると想像以上に慎ましやかな山に見えた。それでもこの山は修験道の聖地として栄えた歴史を持つ。
彩色されて山よりも目立つゲートをくぐれば舗装路が山上へと続く。私は脇から分岐する山道を登り始めた。すぐに3体の石仏が現れ、ここが石と仏の文化豊かな南山城にあることを告げる。そのうちの1体は半分が砕け、その他も風化と摩耗がそれなりに進んでいる。
私は以前から、南山城に石仏の多いのを興味深く思うとともに、加茂や上狛の路傍でそうした仏たちがいまも日を浴びて在るのを見ては、心に温かいものを覚えていた。前年、木津川市にある京都府立山城郷土資料館を訪れた。その常設展示室には、奈良県との境に近い加茂や当尾などで見つかった室町時代の石仏群が多数展示されていた。山城郷土資料館では、想像を絶する数の石仏が南山城に発見されていることを知ったのだった。
笠置山登り口の石仏はいつ作られたものか判然としないが、相当の年数の経過をその身体に刻み込んでいる。仏教民俗学者・五来重は著書(円空と木喰, 角川ソフィア文庫, 2016)で円空の仏像がモダンアートのように扱われることを批判しつつ、奥美濃の山峡に円空仏を訪ねたことを回想している。人煙まれな祠に無造作に置かれた3体の仏がいつまでもそのまま在ることを、彼は願った。私が登り口の石仏に感じたのもそれと近いものだったのかもしれない。百代の風雨に晒されても、そこに込められた宗教的な祈りを路傍に保存し続ける。「現役」の石仏の心打つ姿が、ずっと──完全に風化して崩れ去るまで──ここに在ってほしいと思った。