若葉のとき こころ溶かして 愛知県豊川市 #2

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 ひとつの東屋の近くではもみじが青葉の陰に小さく赤い花を付けていた。遠くから見れば気付かないほどひっそりとした、しかし可憐な花を見ると、昨年の静岡県の旅で最後に訪れた伊豆市の修禅寺の境内にも同じ花があったことを思い出す。昨年もちょうどいまと同じころに旅をしていた。1年を経てまた、こうした穏やかな春の日に旅をすることができたのをうれしく思った。

 標高190mの山頂に辿り着くと豊橋平野と三河湾をひとまとめにした眺望が広がった。春霞の向こうには渥美半島の山々も見えているし、南側の沿岸に置かれた指輪のような小さな環は蒲郡のラグーナテンボスの観覧車だった。東三河ふるさと公園がある山はもともと遠見山という名であるらしく、戦国期には徳川家康の家臣が展望絶好のこの山に監視役を置いていたという。かつての宝飯郡・渥美郡は東三河の中核となる都市を抱えながら日本有数の農業地帯でもある。平野には農地の緑と都市のグレーが複雑なタイルアートのように入り混じる。

 山頂周囲はつつじ園として整備され、たちこめる蜜の香りに惑うように蜂が浮遊する。登ってくるまでは結構な人数とすれ違ったはずだが、なぜか山頂は閑散としていた。中央の展望台にも誰もいなかったので、荷物を降ろして展望台のベンチの上に仰向けになって空を見上げた。天地は逆転し、柵の隙間から青い三河湾が覗いた。

 2泊3日しかない旅で多くを回るために、午後はひとまず豊川市を離れる予定だった。始めて来た地域であるからこそ、広くいろいろな場所を見て回りたいと思うものだ。しかし今日はここで力が抜けてしまった。太陽放射を溜めてほのかに暖かい木製ベンチの上で息を深く吸って吐けば、心が身体を抜け出て吹き渡る風に溶けてしまうようだった。もはや予定などどうでも良くなって、私ももう少しここにいたいと思ってしまった。上空を見ているうちに正午を迎えたようだ。私はこの日の残りを豊川市で過ごすことに決めた。

 再び旧東海道に下りるとちょうど御油宿のあったところに出る。車2台がなんとかすれ違える程度の幅の道を挟んだかたちでイチビキの工場があって、うっすらと味噌や醤油の香りがする。現代的な工場であるものの、外見は醤油蔵の雰囲気を失わず古い街道に似つかわしい。そのまま赤坂宿まで歩いていく。

 宿場の終端に来ると風景が一変する。電柱よりもはるかに高く伸びた無数の松の木が列をなし、その複雑に曲がった幹と枝で道の両側を囲っている。天然記念物にも指定された御油の松並木の歴史は江戸時代初期の東海道整備に始まり、肌を刺す日差しや吹きすさぶ北風から長きにわたって通行人を守ってきた。ある個体の樹皮は老人の手のように皺寄せていて、その幹は風雨に耐えかねたかのように屈曲し、自重で道路に倒れぬようにワイヤーで支えられている。一方、それらの奥では近隣の小学校が植樹した松の小さな苗木が育ち始めている。

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