若葉のとき こころ溶かして 愛知県豊川市 #3

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 赤坂宿の入口に東海道を逸れる道があり、谷筋の向こうに宮路山の均整の取れた錐形が聳えた。宮路山もまた古くから歴史に名前の現れている山として知られている。更級日記に記述があり、さらに古くは持統天皇がこの山を越えたという伝説も残っている。この横道に熊野谷観音堂という小さなお堂があった。山肌に敷かれた短い石段の上の、杉に囲まれた小高い場所に、小屋程度の大きさの、しかし丁寧な仕事で形作られた観音堂が隠れていた。愛知県は寺院数が全国で最も多いというが、この地域には無人の小寺院がよく残っている。朝も国府駅から歩く途中に国府観音を拝み、この翌日も新城市で同じような妙見堂を見つけた。そしてそのひとつひとつは現在も荒れることなく、花が供えられたりのぼりが立てられたりするなどして綺麗に保たれている。

 赤坂宿にはかつての旅籠の建物が残っていて、2015年まで旅館として使われていた。その後豊川市へと移譲され、文化財として復原されたあと内部が公開されている。大橋屋、または旧名で鯉屋という2階建て切妻造りの旅籠だ。この旅籠では、豊川市のボランティアガイドの方に案内を受けることができた。ガイドさんは60代か70代ほどの男性の方だった。ガイドさんによればついさっきまで案内をしていた客は千葉県からのお客さんだったという。旧東海道の宿場町はいまでも東西からの旅客がすれ違う場所である。

 中央にある2部屋分の吹き抜けと中空部を走る数本の梁が印象的な建物である。旅館として営業していた時には2階に部屋がもうひとつあって吹き抜けは1部屋だけだったが、文化財復原で江戸時代の状態に戻したということだ。ガイドさんはそのときに壊した2階の1部屋も個人的には残したかったと回顧した。旅館として営業していた期間も長く、それも立派な部屋だったのかもしれない。太い梁は木材を柱形にせずにそのまま使ったものであり、曲がりや捩れがある。長年かまどの煤を被ってきたので真っ黒に染まっている。この煤は虫害を防いでいるという。

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