展望所にたどり着いた。眼下には有田川が、あらぎ島を取り巻いてU字に蛇行する。深く覗き込めば水の青さが際立つ。稲刈りから冬を迎えるまでのこの時期、あらぎ島の棚田は備えの時期であった。中央では軽トラックが停まり、田を剥いで何らかの工事をしている。二番穂はまだまだ枯れていないがずいぶん淡い黄緑だ。田んぼというシステムは暦よりも正確なほどに季節を映し出している。
見とれるごとに西日は低くなって、此岸の崖に揺れるススキの穂は光の粒のようだ。私は地滑り地形の集落をもう少し高い場所に行ってみた。ここにも棚田がある。そしてその一部を転用した山椒の畑がある。高野山での薬としての需要に応じて栽培が始まった山椒は、いまや有田川町を代表する農産物だ。段々畑をかたどる石積みからは、それを割るようにして力強く茶の樹が伸び、椿に似た花を咲かせている。蔵王権現の下まで行って、そこから下りながら三田の集落とあらぎ島を俯瞰した。正面に見える一番高い山が青白く光り、六分ほどの夕月がぽっかりと昇った。
この風景は曼荼羅なのだ。昼と夜のあわい、太陽と月が並び、山影が線を引いて世界を陰と陽に分かつ。稲作だけではない。棚田の畦での栽培をはじまりとする山椒、葉も皮も余すことなく利用されてきた棕櫚や芭蕉、その他数えきれないほどの作物がこの視界を構成する。山林に美しく生え揃うスギやヒノキはいまもこの地域が優れた材木の産地であることを傍証している。作物も人間も、みなが自然の律動に揺られて生きている。この曼荼羅を生んだのは知恵と生業だ。因果は逆転して、曼荼羅のなかで生まれる知恵と生業が曼荼羅に包摂される。目の前の景観そのものがひとつの小宇宙を描いている。
私の心はこの世界に共鳴した。この風景は都合のよい筋書きでは語れない。平地が乏しく米が作れないから水田を開いた。笠松左太夫がその自己犠牲のもとに農業指導をした。だがそれだけではない。この風景からどの一本の線を取り出して、余剰を削ぎ落とした物語を作ったとしてもおそらくそれは意味を持たない。農作物と森林、それを包む巨大な自然、有名無名の人間の知恵、労働、信仰、文化その他あらゆるものが堆積し、圧縮され複雑に溶け合ってできた風景だ。それは単なる無秩序に墜ちることもない。目に見えるもの、見えぬもの、ここにあるものすべてを包括する複雑系を全身で受け止めるほかはなかった。